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2018-12-17 09:00

特集記事

第3回『ミャンマーでソーシャルビジネスを1000個立ち上げる!!若手起業家の熱き挑戦』

ミャンマー
今回は株式会社ボーダレスリンク社長、犬井 智朗(いぬい ともあき)氏。
犬井さんは、ソーシャルビジネスしかやらない会社、株式会社ボーダレス・ジャパンに入社し2年後にはミャンマーの南シャン州で小規模農業の収入向上を目的としたトータルサポート事業を行うボーダレスリンクの社長に就任。そんな犬井さんにソーシャルビジネスへの熱い思いを聞いてきた。
※南シャン州は、ミャンマー東部に位置するシャン州の南部。



会社立ち上げまでの経緯


犬井さんがミャンマーに関心を持つようになったきっかけを教えてください。

ミャンマー人の友だちで、タイとミャンマーの国境付近にあるカレン州で難民キャンプの支援をしている方がいました。その方についていったのが最初のきっかけです。学生だった2011年頃です。
※カレン州はミャンマー南部に位置する州。
その後は毎年国境付近に足を運ぶようになり、2~3か月住んではまた日本に帰国するというのを繰り返していました。そこにいた人たちは、ミャンマーから逃れてきたカレン民族という民族だったのですが、何度も行くうちにたくさんのカレン民族の友だちができました。つながりが強くなるにつれて、ミャンマー自体にも関心を持つようになりました。

「世界で最も長い内戦」と呼ばれているカレン民族とミャンマー国軍の紛争(70年ほど続いた)も、ミャンマーの民主化に伴い和平協議が始まる状況でした。難民キャンプにいるカレン民族をミャンマーに戻す話も出る中で、では実際に彼らが戻った時、「仕事があるのか」「十分幸せに暮らせるのだろうか」疑問に思いました。カレン民族は2、30年も難民キャンプで暮らしていて、ミャンマー語が話せない人もいますし、突然ミャンマーに戻っても生活できる基盤や仕事はないのではと思ったのです。それでは結局、タイに出稼ぎに行くことになる。
そこで、自分で会社を立ち上げて彼らのために雇用を生み出したい。彼らが十分幸せに暮らせるような社会を創りたい。そう思ったのがミャンマーで事業を始めたきっかけですね。

学生団体も立ち上げたと伺いました。

そうですね、それは難民キャンプとは別の活動です。難民キャンプの方はあくまでも私のプライベートでのことであり、支援活動などはしないことを決めていました。支援する、されるという関係で、現地の友だちとつながりたくはなかったからです。

学生時代は他に海外旅行とか、旅とかもされていたのでしょうか。

いえ、そういうのはほとんどしていないですね。ずっとカレンの国境付近に行っていました。アメリカに留学したこともあるのですが、その時もカレンのコミュニティにいました。
元々はいろんなところに旅をしたいとは思っていたのですが、カレンの人たちとのつながりが強まるにつれて、それを大切にしていくようになりました。

進路の選択については。

カレンの人たちのために何かしたい、という思いが強く、そのための選択肢もいろいろありました。大学院とか、現地で起業するとか。ただ、勉強はあまり好きではありませんでしたし(笑)、起業するにしてもノウハウや資金がない。そこで一度就職してノウハウを学び、それから起業することにしました。
支援する・されるの関係を超えたビジネスパートナーとしてカレンの人たちと関わりたかったですし、サステナビリティ(持続可能性)の観点からも、NGOではなくソーシャルビジネスをしている会社を探しました。そこでソーシャルビジネスだけをやるボーダレス・ジャパンに入社しました。2年ほど国内の既存事業に携わることでビジネスのノウハウを吸収し、その後ミャンマーで伸び悩んでいた事業の立て直しを任され、今に至っています。

カレンの人たちの何が魅力なのでしょうか。

カレンといってもいろんな民族がいるので一概にカレンがどうとは言えないのですが、やはり居心地がいいです。学生の頃からずっと行っているので、そこが私の帰属する場所だと思っていますし、その場所が本当に好きなのです。

ミャンマー


事業について


今はどのような事業をされているのでしょうか。

農業トータルサポート事業をしています。農村地域ではあらゆる面で、お金・モノ・情報が不足していて、農家さんたちの収入が向上しにくい構造になっています。
新しい品種を作りたいけどそのための情報がない。優れた機械があるにも関わらず、その存在を知らない。正しい技術の情報が伝わっていない。農業を始めるのにお金を借りたいが借りられない。作物を売りたくてもマーケットまで遠いため買いに来るブローカーに頼るしかない。などなど、社会にたくさんリソースがあるにも関わらず、それがなかなか農家の方々に伝わらない現状があり、それを繋げる仕組みを私たちはつくっています。
具体的には、集落ごとに農業サービスセンターと呼ばれる拠点をつくり、そこで農業の情報やモノが手に入る仕組みをつくっています。また、マイクロファイナンスや作付け後の肥料の設計サービス、肥料の配達販売なども行い、文字通り農家さんたちをトータルにサポートすることで、農家さんたちの収入を向上させることを目的としています。
サービスセンターがあることで、農家さんたちはなんでもわかる、安心して農業を始められる状況をつくっていきたいのです。

規模はどのくらいなのでしょうか。

現在私たちのサービスを受けている農家さんたちは100人くらいです。今年の4月から今の事業を始めたということもあり、まずは小さくしっかりとした基盤をつくっていくことに重点を置いています。来年からは拡大していくつもりです。

ミャンマー人スタッフのマネジメントやコミュニケーションの問題はどうでしょうか。

ミャンマー人だから、というようなところでネックになっていることはありませんね。例えばスタッフの教育はこれからの課題ではありますが、それは日本の企業であろうとミャンマーの企業であろうと同じだという認識です。
コミュニケーションの問題についても同じで、一緒にご飯を食べたりしっかり話を聞いたりすることで彼らとの信頼関係は築けます。私たちはそれをファミリーワークと呼んでいるのですが、それなくして「しっかり働いてくれない」と言ってもそれは日本でもうまくいかないと思います。
特に私たちは社会を変える、社会をより良いものにするという明確な目標があるため、足並みがそろっていると思います。

ミャンマー


これから


犬井さんはこれからどうされるのでしょうか。

今の事業を任せられるほどスタッフが育ったら、私はミャンマーにボーダレスの仕組みを広げていきます。
今私たちが関わっている農村地域だけでなく、ミャンマー全体を豊かにするためには、農業以外の課題に取り組むもっと多くのソーシャルビジネスが必要ですが、一つの会社だけではすべての課題を解決することはできません。
また社会をよくしたいという熱い想いをもった人たちが出てきたとしても、知識も経験もお金も十分にない状態では、実際何からはじめればいいのかわからないという壁に直面してしまいます。
そこで、ボーダレスが彼らをバックアップする仕組みをつくることで、想いを持った人々が安心してソーシャルビジネスを始めることができるようになり、その数が増えるほど、社会が変わるスピードも加速していきます。
ボーダレス・ジャパン代表の田口が1000個ソーシャルビジネスを創ると言う理由もここにあります。私もミャンマーで1000個のソーシャルビジネスを創り、社会を変え続けていきたいと思います。

ソーシャルビジネスで世界を変える!ボーダレス・ジャパンのウェブサイトはこちらから。
https://www.borderless-japan.com/

ボーダレスリンク
https://www.borderless-japan.com/social-business/borderlesslink/
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