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2019-01-18 09:00

特集記事

第4回『ミャンマーの歴史の立会人に話を聞いてきた』

ミャンマー
今回は八千代エンジニヤリング株式会社の谷津哲夫氏。
同社は総合建設コンサルタントとして、国内外問わず幅広い地域でインフラ整備や被災地での復興支援を担ってきた。
谷津氏はミャンマー事務所シニアマネージャーとして日本政府、ミャンマー政府と協力しながら、同国のインフラ整備に長年にわたって携わられており、ミャンマーの歴史の「立会人」でもある。
今回はそんな谷津さんに話を伺った。



御社がミャンマーで事業を開始された経緯を教えてください。

ミャンマーのシャン州には、アジアのゴールデントライアングルという一大ケシ栽培区がありまして、第一自治区、第二自治区など4つの自治区はミャンマーでありながらミャンマーでない地域でした。
その中の第一自治区がケシ栽培を止めるいうことを宣言し、2003年に日本政府の麻薬対策事業の中で支援をすることを決め、私たちがプロジェクトを担当致しました。
当時は軍事政権で、私たちも手探りでミャンマーの情報を集め向かいました。イミグレのところも緊張していたのですが(笑)、入ってみると想像とは違って、親切な人が多かったのです。
業務は2年間続いて、完成したのは2005年くらい。当時、ミャンマーに対する経済支援は制裁中という事もあり、支援するのは基本的ニーズのみでした。そうはいうものの、いつかは雪解けが来るものだと思いつつ足しげく通っていた時期がありました。(2006~2008年)

2008年はサイクロンが到来しましたね。

はい、2008年5月2日にサイクロン・ナルギス(4月27日にベンガル湾で発生したサイクロン)が襲来し、ミャンマーのエーヤワディー川デルタ地帯に甚大な被害をもたらしたため、その復興をいち早くやらせていただきました。

旧軍事政権下でカチン州奥の水力発電用のミッソンダムを開発する計画が中国によって進められていましたが、2011年9月30日、開催中の国会で当時のテインセイン大統領は、「流域の自然環境や住民に与える影響が大きい」などの理由から、この事業を同大統領の任期中は凍結する事を表明しました。その様な大統領の発言にいち早く反応したのがアメリカで、同年11月30日に当時のクリントン国務長官の訪緬日程がニュースで報じられました。つまり、ミャンマーは中国一辺倒ではないと言う事から、また、長らく軍政下にあった同国での「変革の動き」を後押しするのが目的です。その時、私はちょうど現地にいて、ホテルでパソコンを開いたら、Outlookでメールをダウンロードすることができているのです。それまでは、近隣諸国のアクセスポイントに電話回線で繋いでメール受信しかできなかったので、どうしたのかなと思っていたところ、ちょうどクリントン国務長官訪緬のニュースを見ました。これは、ミャンマーは何かが変わるなと感じました。

転換期にいらっしゃったのですね。

アメリカが動けば日本も動く、これは腰を据えてミャンマーで仕事をしようと、すぐさま会社にメールしました。我が国政府は、この様なミャンマーの状況に対応して支援の検討が行われました。先ずは2012年4月、これまでの債務の内、3千億円を債務免除し、ミャンマー支援の再開を表明しております。その後は、私たちもすぐに我が国の無償資金協力の仕事を請け、カレン州における建設機械整備計画の案件を受託し、若手を引き連れてミャンマーでの地方調査、中央省庁での協議などを行いました。
そうしている内に、2013年12月に第27回東南アジア競技大会(通称、SEA Games)が首都ネピドーで開催されることが決定しました。また、その1年後にはミャンマーが議長国としてのASEAN Summitが首都ネピドーで開催される事が決まり、ミャンマーの民主化を象徴する出来事であり、また、初めての国際的なイベントでもある事から、これらに関しても我が国政府は支援を表明し、脆弱な通信網を整備・強化をすることになりました。2013年12月11日のSEA Games開会式に間に合わせるために工事を5か月で完了させなければならなかったのですが、無事に成功させることができ、携わった一員として、開会式は感無量でした。

現在はどのようなプロジェクトを進めているのでしょうか。

地方開発を目的としたプロジェクトを進めています。
2014年4月、前任の樋口大使着任前のころ、彼が赴任する前に15分ほど時間を頂戴し、話したことがあります。その中で、「八千代さんは、ミャンマーでなにをしたいですか?」と聞かれました。その時に私は、開口一番、地方開発をやりたい。と言う話しをしました。ヤンゴンやマンダレーの様な都市部は、黙っていても民間投資が入っていき開発が進んでいきます。でも、都市部から少し離れると、一気に30年前ぐらいにタイムスリップしてしまいます。もっと奥に行くと、更にすごいです。乾季(例年10月~5月)ならアクセス可能な道路・橋も雨季になると、道路がぐちゃぐちゃで通れないという状況が各地にあるのです。そういうところが今後の開発が必要であり、ターゲットになっていくと思っていたのですが、日本政府の支援方針とも合っていました。日本政府の支援方針は、それに加えて貧困削減もあり、なぜ貧困なのかを深く探っていくと、基本的インフラの開発が遅れているから収穫した作物がすぐに市場に運べないとか、物の流通が滞るとか、そういう部分も踏まえて遅れているから貧困であるというところがあるわけですね。
そういう状況を打破していくためには、道路を整備しバイクや小さな車が通れる、また、物資を運びやすくするなどの支援が必要でした。
それから、5千2百万人の人口の内、約7割が地方に住んでいます。ですから、3割を豊かにしてもミャンマー全体が豊かにならないのです。格差も大きいわけです。年収にして考えても600ドル、800ドルいっているかいっていないかです。

特に今は地方電化を目的に、ロス低減を主体としたプロジェクトを行っています。
例えば日本の場合でも、発電所から今この場に電気が来るまでに1~2%の送電ロスや配電ロスが生じてしまいます。これがミャンマーになると、20~30%はロスが生じてしまいます。
大容量の送電線が無い、設備の老朽化などが主な原因です。
このロスには「テクニカルロス」と「ノンテクニカルロス」がありますが、後者は電気窃盗や電力料金未払いのことです。裸電線が主であり、また、適切な管理が行き届いておらず、容易に盗まれてしまうのです。「ノンテクニカルロス」を無くすのはなかなか難しいですが、私たちは前者の「テクニカルロス」を無くすため、配電線の張替えや変電所の改修をしています。これらを通して、電化率を上げていくことを主な目的としています。電力の需要が高まる中、パワーソースは限られているので、いかにロスを低減していくかが課題となっています。
他にも、大規模な発電所を建設したとしても、それだけの電力を送れる送電線がないので、新たな大容量の送電線の設置も日本政府主導で行われており、安定した電力の供給に向けてはまだまだやることがあります。

まだ課題が山積みなんですね・・・

やることだらけですよ(笑)。
ただ、私自身、非常に幸せだと思っているんです。ミャンマーでの事業に長年携わってきて、幾つかの歴史の節目に立ち会ってきましたし、国づくりに少なからず貢献しているという自負があります。もはやライフワークですね。

御社のこれからの事業展開は。

先述のようにヤンゴンやマンダレーの都市部では今、民間投資が増えています。ただ、地方への投資は進んでいない状況の中で、ミャンマー政府は新会社投資法を通して地方投資への優遇措置をとっています。地方への投資に関しては7年間の税制優遇措置をとるというものです。
ただ、そうは言っても電気の十分な供給や道路の整備がされていない状況では民間投資の増加の可能性は低い現状があります。だからこそ私たちが、ODAのもとで電力の供給や道路整備をやっていくことによって、投資しやすい環境を作っていくことができると思っています。

八千代エンジニヤリング株式会社HP
http://www.yachiyo-eng.co.jp/

「海外事業部のちょっとイイ話」が面白いです!!
http://www.yachiyo-eng.co.jp/feature/2016/f128.html
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