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2013-11-27 09:00

社会

UNHCRで働く日本人 伊藤礼樹

人道支援
軽い気持ちで応募したら・・・
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)ミャンマー事務所で日々忙しく働いている日本人がいる。伊藤礼樹UNHCRミャンマー事務所代表代行だ(写真右)。

(画像はホームページより)

以下、UNHCRホームページに掲載されている「【職員インタビュー】 伊藤礼樹UNHCRミャンマー事務所代表代行(2013年11月15日)」をもとに伊藤氏の活躍ぶりを紹介しよう。

伊藤氏がUNHCRで働き始めたきっかけは、軽い気持ちで応募した国連ボランティア活動がきっかけというからおもしろい(このときすでに日本での就職は決まっていた。)。面接を受けて一週間後には紛争中のボスニア・ビテスという町のUNHCR事務所派遣されたという。

最初は軽い気持ちで始めたことであったが、その後仕事が楽しくなり、外務省が日本の若手職員を国際機関に一定期間派遣するJPO(ジュニアプロフェッショナルオフィサー)派遣制度(以下JPO)に合格し、現在までUNHCRで働いている。

これまでの活動地は、ボスニア、ジュネーブ本部、アルメニア、スーダン、東京、レバノン、ソマリアなどを2~3年のサイクルで移動してきた。その中でも特に印象に残っているのは、紛争地ボスニアでの体験だそうだ。

夕闇迫る谷間の道での出来事。村を追い出されたイスラム系ボスニア人の子供を含めた男女数十人のグループ。そこに現れた目が真っ赤で、AK-47(自動小銃)を携えたクロアチア系武装勢力の司令官。緊張が走る。今でも鮮明に思えているそうだ。

人道支援への思い
ミャンマーでの支援活動を通して見えるのは、人道援助の産業化と官僚化だという。自然災害や紛争が発生すると多くの国連機関やNGOが現地に集まるが、そこには多くの人々を調整するためのメカニズムが必要となる。

それは、人道支援が行われる現場の活動と結果よりも、「調整会議への出席、戦略作り、合意文書の作成」の過程が重視される場面が多く、これに伴って諸活動のマニュアル化が進んでしまうとのことだ。そして、このマニュアル化によって「智慧があり、柔軟性、創造性に富むリーダー」が少なくなってしまうことが懸念されるという。

仕事でのやりがいは、やはり結果が出たときだという。非常に難しい背景を持つ難民の第三国定住が決まったときや、帰還してくる難民や避難民を迎えるときは「UNHCR冥利に尽きる」と感じるのだそうだ。

今はナイロビに妻と一男一女を残し、ヤンゴンに単身赴任中なので、今後は早く家族と一緒に生活したいと語る。また、人道援助の意味、必要性、正当性を真剣に考えて自分なりの立場を構築したいと仕事への思いも熱く語る国際派の日本人だ。


外部リンク

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所) ホームページ
http://www.unhcr.or.jp/html/2013/11/
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